幽霊画家の遺作
絵を売って儲けるか、不気味な謎を暴くか、主人は迫られる。
Beginning
その木箱が、私の画廊に届いたのは、雨の降りしきる、火曜日の朝だった。差出人の名は、なかった。私は——藤代と申します。東京の外れ、谷中の路地裏で、小さな画廊を営む男です。経営は、正直、傾いていた。だからその朝も、私は溜まった請求書を睨みながら、憂鬱な気分で、その重い木箱の蓋を、こじ開けたのだ。そして、中から現れた一枚の油彩を見た瞬間——私の背筋を、氷のような戦慄が、駆け上がった。
まぎれもない、遠野静馬の絵だった。あの、独特の、深い藍を基調とした画風。荒々しくも繊細な筆致。画壇に背を向け、人里離れた岬のアトリエに籠もり、狂気じみた執念で描き続けた、孤高の天才。だが——遠野静馬は、一年前に、死んでいる。岬のアトリエが火事で全焼し、彼はその焼け跡から、変わり果てた姿で、発見されたのだ。皮肉なことに、その死を境に、生前は見向きもされなかった彼の絵は、高騰した。今や一枚が、私の画廊の年商を、軽く超える。
私は震える手で、キャンバスの裏を、確認した。署名。「遠野静馬」。そして、その隣に、制作年月が、記されていた。——先月。死んだはずの男が、つい先月、描いた絵。ありえない。私は、何度も、目を、こすった。だが、日付は、消えなかった。そして、絵の主題に気づいたとき、私は、思わず、声を漏らした。描かれていたのは、夜の、見覚えのある路地。その奥に、ぽつんと灯る、一軒の画廊。——私の、画廊だった。誰もいないはずのその窓辺に、こちらを、じっと見つめる、青白い人影が、一つ、佇んでいた。