TellAria

茶室の対局

勝ちを取るか、藩のために負けを選ぶか、棋士は迫られる。

Beginning

寛政七年の霜月、雪はまだ降らぬものの、庭の蹲踞には薄氷が張っていた。松代藩の下屋敷、その奥まった一隅にしつらえられた四畳半の茶室に、二人の男が向かい合っていた。にじり口から差し込む冬の午後の光は淡く、床の間の一輪の白椿を、いっそう白く際立たせている。炉の炭が、ときおり、ぱち、と小さくはぜた。

主客のあいだに置かれているのは、茶碗ではなかった。榧の一枚板を刳り抜いた、古い碁盤である。目は磨り減り、幾百幾千の対局を吸い込んで、飴色に沈んでいた。その盤の前に坐すのが、本因坊門下の俊英と謳われた棋士、瀬名宗竹。三十をいくつか越えたばかりの、痩せて背の高い男である。向かいに坐すのは、隣国・上田藩の御用碁打ち、名を岩井道悦といった。齢六十に近い、白髪の老人であった。

宗竹は、この一局が、ただの碁ではないことを、屋敷に招かれた宵のうちに知らされていた。松代藩と上田藩のあいだには、水利をめぐる古い争論があった。千曲川の分水、その堰の高さを一尺上げるか下げるか——それは両藩の何千という田畑の、豊凶を分ける問題であった。幕府に裁定を仰げば、金と歳月を空費し、両家に遺恨を残す。そこで両藩の家老は、ひそかに談合し、この争いを一局の碁に託すことを決めたのである。勝ったほうの言い分を、負けたほうが飲む。武士の意地も、百姓の暮らしも、盤上の黒白に懸けられた。